「ごめんなさい! 実はあなたからメールで連絡をもらう直前に予約が入っていたようなの。とても残念だけど希望の日程は部屋の予約が入ってしまったわ」
それは、マウイ島のイブさんからの連絡だった。昨日のメールのやり取りでは予約ができるはずだった。しかし、このメールでは先約が入ってしまっていたということだった。いきなり出鼻をくじかれた。
イブさんはハワイのマウイ島にあるマカワオとい街で、お土産屋さんと一軒家の宿泊施設を運営している女性だ。年齢は50歳前後だろうか。アメリカ人女性としては平均的な身長と、やや細いうちに入るかもしれない体型。 ウェーブのかかったブロンドのロングヘアに茶色の瞳。笑った時に現れる目じりの皺は、彼女が歩んできた年月を物語る。昨年の夏、旅行でマウイ島を訪れた際に、私は彼女の所有する森の中の一軒家を借り、自分の家族、友人達とそこに泊まった。マウイ島は、大小二つの島がくっついて、ひょうたんを左側(西側)へ横倒しにしたような、東西に長い形をしている。この島はホノルルがある都会的なオアフ島とは異なる魅力を持つ。自然が豊かで、オアフ島ほど都市化されていない。ひょうたんの右側(地図上の東側)の部分には、ハレアカラという標高3000mを超える休火山があり、山頂からのサンライズとサンセットは、ともに人気の高い観光となっている。また、標高1000m程の場所にあるクラという街は、軽井沢のような避暑地になっていて、日本人のイメージするハワイとは少し違う魅力も持つ。また、ひょうたんの左側(地図上の西側)の南西にあるラハイナという港町にはラハイナ浄土院という日本のお寺があり、実は昨年ここの盆踊りに参加するため、マウイに遊びに来ていた。そして、今年は日系移民150周年の記念という節目の年にあたり、7月6日、7日に、ラハイナ浄土院で盆の法要と盆踊りが盛大にとり行われる予定になっていた。 当然「今年も行こう!」ということになり1週間のマウイ旅行を計画していた。実は、昨年のマウイ旅行が友人たちには好評で、今年は参加希望が十数名という大所帯に膨らんでいてた。旅行の段取り役となっている私は、滞在費用を抑えるため旅行会社は通さず、現地のレンタカーや宿泊施設の手配をすべて1人でやっているのだった。だから、宿泊先はホテルではなく民泊というかたちにして、食事も自分たちで自炊というスタイルになっている。昨年知ったことだがハワイの民泊にはルールがあり、同じ家に宿泊できるのは10名までと決まっている。だから必然的に、今回は宿泊場所が2軒に別れてしまう。そんな計画のしょっぱなで、滞在を予定していたイブさんから、あのメールだった。でもこの時はまだ2月。時間は十分あった。問題は広い家を2軒、出来るだけ近い距離で確保できるかだった。そんな時に、とても便利なのがairbnb(エアビーアンドビー、以降エアビー)という民泊のポータルサイトだ。簡単にいうと部屋を短期で貸したい人と、短期で借りたい人を結びつけるサイトだ。部屋の写真や情報だけでなく、他の宿泊者からの評価も見れるので、安心して泊まれる部屋を見つけることができる。いまや世界中の旅行者がこのサイトを利用している。私もこのエアビーを利用したのだが、その後に遭遇する数々のトラブルを、この時の私は当然知る由も無いのであった。
エアビーのいいところは、地図上からも探せるというところだ。自分が宿泊したいエリアの地図を開くと、宿泊できる家の場所に吹き出しが現れて教えてくれる。その吹き出しには宿泊金額が表示されているので、いくらで泊まれるのかが瞬時にわかるのだ。さらに、宿泊人数や宿泊日程、予算を入力すると、その期間中に希望人数と金額で泊まれる家だけが表示されるのだ。しかし私はこの家探しに1週間以上かかってしまう。なぜなら、8名以上で泊まれる家が少ないことと、あったとしても近隣にもう一軒泊まれる家を確保できなかったり、費用が見合わなかったりしたからだ。macの画面上からマウイ島中をくまなく探し、なんとかクラという町に8名と6名の家を確保できた。8名用の家はレスリーさん。6名用の家はクリスティーさんがオーナーだった。この家探しのおかげで、もう何年もマウイ島に住んでいるような気分になった。宿泊先を確保できたことで肩の荷が半分くらいおりて、だいぶ楽になった。泊まる場所が決まらなければ、計画が先に進まないからだ。あとは、レンタカーの手配や家族分のオアフ島とマウイ島間の航空券の手配などだった。
全ての準備が順調に終わりつつあった。そんな流れの中、3月17日の朝、最初のトラブルが発生した。私のGmailのアドレスに一通のメールが、エアビー経由で届いていた。それは8名が宿泊予定の家のオーナー、レスリーさんからのメッセージだった。そこにはこう書かれていた。
「申し訳ないけど、家の電気系統の修理をあなたが予約している期間に行わなければならなくなったの。契約している修理会社の予定がその期間しか空いてなくて。本当にごめんなさい、だからあなたの予約をキャンセルしなければならないの。でも幸いあなたの旅程まではずいぶん時間があるから、もっと素敵な家を見つけられるはずよ!」
バカヤロウ! この家を探すのにどれだけ時間がかかったと思ってるんだ。しかも、なにが「もっと素敵な家を見つけられるはずよ!」だ。アメリカ風のポジティブな励ましのメッセージが、さらに私の感情を逆なでした。同時に、これからまた地図上の孤独な家探しをしなければならないことを考えると、胃のあたりが締め付けられるような感じがしてきた。探すしかない。
「大丈夫今ならまだなんとかなる」そう自分に言い聞かせた。私は穴があいてしまった8名分の家を探すため、再びエアビーの地図上の旅にでたのであった。そして、ようやく次の家が見つかったのは5日後の3月22日だった。その家はマカワオという街にあり、マークさんがオーナーだった。マカワオは横になったひょうたん型の島の右側の部分。島の北側の中腹に位置している。小さな街だけど、古くからカウボーイの街として知られ、街並みは昔からの佇まいを残してどこか懐かしさを感じさせた。ここは、よく通り雨が降るエリアで、気候も比較的涼しく過ごしやすい。さらに美味しいコーヒーをだすカフェもあって、もしマウイに住むとしたらこの街に住みたいくらい、個人的に好きなお気に入りの街だ。クラにある6 人用のクリスティー邸とは、車で20分程離れてしまうが、この際仕方がない。なにせ宿泊先の確保は最重要任務なのだ。ようやく、全ての準備が整った。あとは出発を待つのみとなった。しかし、そこから出発1ヶ月前の6月5日に、再びトラブルが発生する。
この日、そろそろ家の部屋割りを決めようと思い、間取りを確かめる為エアビーの予約ページへアクセスした。「あれ? おかしいな」私は異変に気付いた。2軒予約していたうちの1軒、クラにある6人用のクリスティー邸の予約が見当たらない。おかしい。そんなはずはない。確かに予約したはずだ。クリスティーとやりとりしたメッセージの履歴も残っている。しかし、予約ページには、マカワオのマーク邸の予約しか見つからないのだ。まさか、やな予感がする……。今回は流石にまずい。顔から血の気が引いていくのがわかった。よく調べてみると予約が勝手に、しかもなんの連絡もなしにキャンセルされていたことが判明した。とにかく、何がどうなっているのかを確認するためにクリスティーへメッセージを送った。しかし、数日経っても返事は帰ってこなかった。ホテルなら絶対にこんなことにはならない。民泊ゆえの怖さを痛感した。もし私が、部屋割りの為に、エアビーへアクセスしなければ、マウイ島へ着いてこの家に行くまでわからなかったのだ。それを不幸中の幸いといえば聞こえはいい。しかし、現実問題として、出発まで1ヶ月を切ったこれから家を探したとして、はたして泊まれる家が見つかるのだろうか? 7月上旬はアメリカの独立記念日も重なり、とくに宿が取りにくい時期にも重なる。この時期に空いている家を探す方すのは、砂浜に落ちた一本の針を探すのに等しい。しかもマカワオのマーク邸の近くに探すとなると、もはや不可能に近い。マウイ島は東西に長く、端から端まで車でも丸一日かかる。仮に家が見つかったとしても、遠く離れてしまえば一緒に行く意味がなくなってしまう。とにかく、なんとかしなければならない。うちの家族も友人たちも航空券を買ってしまっているのだ。再びエアビーで部屋探しを始めた。滞在期間と人数を入力し空いている家を探す。しかし、地図上には、空き部屋を示す吹き出しの表示が上がってこない。つまり空いている部屋がないということだ。万事休すか……。
私は港町ラハイナにあるビーチから、夕闇迫る西の空を眺めていた。海は闇に沈み、波打ち際はもう見えないが、数メートル先から穏やかな波の音だけが聞こえてくる。今日6月7日は、ラハイナ浄土院の盆踊りだ。なんとか、ここまでこれた。無事泊まるところも見つかった。つくづく思うことは、旅行はそれを決めたところから始まるということ。これまでのトラブルは、旅行の醍醐味として、今この瞬間を引き立たせるためのスパイスとなった。旅行とは準備期間も含めてすべてが旅行なのだ。さて、ことの顛末を話すと、実はあれから私は、万が一のこともあると考え、一番最初に出てきたイブさんにメールを入れていた。今の自分の状況を説明して「ひょっとして、キャンセルが出て家があいていませんか?」と。すると、イブさんから奇跡的な返事が届いた。「実は、あの時予約した人がキャンセルになって空いているのよ。あなたに連絡しようと思ったけど、もう他で見つけたかとも思って」と。結局、巡り巡って今回の宿は、マカワオにあるイブさんのところに泊まれることになった。そして、もう一軒のマークさんのところもマカワオだった。距離も車で10分もかからない近い場所に落ち着くことができた。何か、今回の一連のトラブルは、はじめから仕組まれていた誰かのイタズラのようにも思えた。いよいよ、暗さを増していく空に、かすかに浮かぶ椰子の葉のシルエット。海水で冷やされた海風が心地よく足の間を通り抜ける。背後のお寺の方では八木節の「ハァーーーーー」という息の長い、掛け声が始まっていた。
《終わり》