昔々、満月に照らされて、アラビアの砂漠をゆくラクダの隊列がいました。砂漠の満月の明るさは、まるで昼間のように人影を砂の上にくっきりと浮かび上がらせています。そんな満月の夜は、数キロ先にある砂丘の頂まで見通すことができました。積荷を背負ったラクダ達は、隊列を組んで砂丘の谷間を縫うように行進していきます。昼間は45度を超える殺人的な気温も、夜は20度前後まで下がり、隊の行進を助けます。しかし、ラクダ使い達は、周囲に気を配り、何か変化はないか神経を研ぎ澄ましています。こんな夜は盗賊に狙われやすいすいから。彼らが輸送している積荷は、金と等しい価値を持っているのです。
紀元前からフェニキアは東西の貿易の中継地点として栄えていました。フェニキアとは、現在のレバノンのあたりに、フェニキア人によって築かれた都市国家です。インドやアジア諸国から運ばれてきた、胡椒を中心とするスパイスは、フェニキアを中継地として、西方の国々へと運ばれていきました。この頃のスパイスの価値は、金に匹敵するほど高価な値がついていたこともあります。つまり、ラクダの背中に乗せたスパイスは、現在でいう現金輸送車の中の金塊に等しかったのです。
とまあ、スパイス貿易の歴史は古いのですが、現在私たちの食卓に上がるカレーライスは、長いスパイスの歴史からすると、ごく最近の出来事です。実はカレーはインドから直接日本へ伝わってきたのではありません。知っていましたか? 一旦、インドからヨーロッパへ伝わり、さらにそれが日本へ欧風のカレーライスとして伝わってきたのが起源となっています。ついでに言うとインドやスリランカには、もともとCurry(カレー)という食べ物はありません。それはあとから名付けられたものなのです。名前の由来には諸説ありますが、1780年頃、インドのコルカタで弁護士の妻をしていた、エリザ・フェイによって記述され書物に「Curry and Rice」という表現が見つかっています。当時、インドの使用人達の手によって作られていたスパイス料理のことを、カレーという総称で呼び始めたのがきっかけのようです。
以前スリランカ人の友人がこう言っていました。「スリランカにはカレーという食べものはない。でも何種類もカレーがある」と。禅問答のようですが、つまりこういうことです。「カレー」と名のつく料理はないけど、スパイスを使った、日本でいうカレーのような食べ物は沢山あるということでした。
では、日本ではいつ頃からカレーライスが食べられ始めたのか? 古い資料では、明治時代に神田にあった一貫堂が1906年に即席カレーを販売していた記録が残っています。とまあ、カレーの話をし始めると、きりがないのですが、そんなカレーのことで、私は最近頭を悩ませています。
それは、カレーが旨いのは、インド人がすごいのか、インドカレーといいう料理がすごいのかってことです。食べログに載っていないようなインドカレーのお店に行ったって、まずいカレーに出会ったことは一度もありません。基本的にインドカレーは旨いものなのです。そんなどうでもいいようなことを考えて、どうするんですか? とは聞かないでください。悲しい性としかいいようがありません。気になるものは仕方ないのです。ということで話題を続けますが、その旨さのポテンシャルはどこから来るのかって話です。インドカレーという料理の持つポテンシャルの高さなのか、インド人の持つカレー作りのポテンシャルの高さなのか? そこで検証するために、カレーをインド以外の国の人が作るとどうなるのか? と考えてみました。
最近巷で人気のインド系スパイスカレーは、日本人が作っています。が、相当な旨さです。恵比寿にあるボンベイのカシミールカレーは、週に一回は体がムズムズしてきて食べに行きたくなるくらい癖になります。また大阪の旧ヤム邸谷町六丁目店のカレーもいい。最後に数種類のカレーが混ざり合い、別次元のカレーに変容していく様は、芸術的ともいえます。もちろん天狼院のバターチキンカレーもしかり。それぞの店によって個性的な美味しさがあるのです。だから、すごいのはインド人ではなくインドカレーです。と言い切りたいのですが、そうはドッコイ問屋がおろさないところが悩ましいわけです。
インドとかスリランカとか、いわゆるあちらの地方出身の方が作るカレーには、私たちの想像のつかないところから来る味付けといいますか、スパイスワークがあるのです。それは、彼らにとってはおふくろの味のような、もう産まれた時から体に染み付いている味付けというものなのでしょう。彼らには、我々日本人を含め外国人にはない、味の記憶というストックがたくさんあるわけです。そうすると、彼らにとっては数ある記憶の引き出しから、あれこれと懐かしい味を引っ張り出してきて組み合わせるだけで、美味しいカレーを再現できてしまうわけです。日本人でいうなら、煮物の微妙な味付けの加減とか、昆布だしと鰹出汁の使い分けとか、みりんの使い方とか、お袋の味のストックがあるのと同じなのです。だから外国の人がレシピをみて作る和食とは、同じ材料と調味料をつかっても根本的に何かが違ってしまうのと同じことが起こると思うのです。インドの家庭の味を知らない我々には、とても越え難い食文化の壁が存在するのです。だから、やはりすごいのはインドカレーではなくインド人の料理のポテンシャルなのではないかという説も捨て切れません。そんな悩みから端を発し、別の悩みも続出中です。
例えば、カレーに入っているスパイスのことです。私は、スパイスのことをよく知りません。それは味を認識する言葉が足りないということでもあります。語彙が少ないということは、認識できる世界にも制限を受けます。例えば、草花の名を知らなければ、ただの草むらにしか見えないものも、一つ一つの草花の名を知ることで、見ている世界が草むらから庭園に様変わりします。だから、カレー好きなのにスパイスを知らないのは致命的だと思うのです。そこで認識を広げるのに役に立ったのが、まさかの天狼院書店のプロフェッショナルリーディング講座でした。ここで役に立つとは……。
「本」で「プロ」になるための知識を身につけた私は、スパイスのプロになるべく、渋谷のMARUZEN & ジュンク堂書店へ走りました。カレーのプロではなく、スパイスのプロになるためにです。それは英会話ができるようになるための単語の習得のようなものです。基礎が大切なのです。そしてスパイス辞典からインドカレー料理本を選書し、買い込みました。それらの本をもとに習ったことを実践しています。そして、スパイスの名前と香りの特徴を知ることで、これまで見えていなかった世界が広がりつつあります。
「ああ、カルダモンとクミンのバランスが神がかってる」とか「もしかしてほぼターメリックだけで、こういう展開ですか」とか、ただのインドカレーが面白くて仕方がありません。そのうち、本格的なインドカレー作りにも手を出そうかと考えていますが、それをする為にプロリーディングでいう「幹本」をせっせと育成中です。というわけで、スパイスの話で始まった話題は、なぜかプロリーディングの話に着地した今週でした。