今朝、用賀駅の駅ビルのトイレへ
入ろうとすると、入り口の脇に、
質の良さそうな、皮製のネイビーの
ビジネスバックが置いてあった。
中身もしっかり入っているようにみえる。
しかし、持ち主らしき人物は見当たらない。
バッグをここに置いてトイレにいったのだろうか?
いやー、そんなことはないでしょ。と
すかさず自分から突っ込みがはいる。
行きかう人も、一瞬バッグに目を留め、
「ん?」という、微かなリアクションを見せるが、
歩みを止める人はいない。
そういえば、中学生の時に、野球の親善試合で
ハワイへ行った時のことを思い出した。
宿泊先はワイキキのとあるホテルだった。
夜の自由時間に、親父へのお土産にとゴルフボールを買って、
部屋に戻ったら、フロントに預けたキーをもらってくるのを
忘れたことに気づく。
ホテルの受付へ、取りに行って戻るだけだからと、
ドアの前にお土産のゴルフボールを置いて、
フロントにもどった。
しかし、部屋の前に戻ってくると、
お土産のゴルフボールは見事に消えていた。
その間、1,2分の時間だ。
金額的にはたいしたものではなかったが、
自分のものが盗られてしまったこと、
おそらく、意図的ではなく、
たまたま通りがかった宿泊者が、置いてあったから、
とりあえず持ち去っただろう、という事実に、
大変ショックを覚えたことを思いだした。
日本と外国のこのような感覚の差はなんだろうか。
昭和50年生まれの私は、ある答えにたどり着く。
誰も見ていなくても、お天道様がみているからだと。
昭和生まれの日本人にはお天道様がついている。
でも、お天道様って結局は、自分なんだけどね。