「お待たせー、もう出てたんだ?」
雑誌から顔をあげると、女湯から戻った妻が立っていた。
「ああ、少し前にね」
先に湯からあがった私は、ホテルのラウンジで妻を待っていた。二人で部屋へと戻る。それにしても怒涛の1日だった。今日の16時頃、妻が自宅の私の部屋に入ってきた時には、青森にいる予定など1ビットもなかったのだ。
「今から青森に行こうと思うけど、いく?」と妻が言い出し、直感トリップがスタートした。30分で支度をし、世田谷にある自宅を出発。電車に乗りながら新幹線とレンタカーとホテルを予約。途中で新幹線に乗り遅れるという痛恨のアクシデントに遭いながらも、なんとか岩木山にあるホテルに部屋を確保できたのだった。山の中腹にあるホテルの部屋の窓からは、白神山地を左手に見ながら正面眼下の遠くの方に日本海が見渡せる。はずである。しかし、今は夜中なので何も見えない。もちろん自然豊かなこの地には夜景もないのだ。残念だ。眼下には、水銀燈に照らされたホテルの駐車場が、寒々と浮かび上がっているだけだった。
予定も目的も決めず、いきなり出発した旅。それは、スピードライティングのようなものだ。どんなストーリーで、どんな結末になるかわからない。そんな不安と緊張感を抱く一方で、書きながら予測していなかったストーリーが展開していく面白さ。妻の会話から始まった青森への旅は、定石の書き出しそのものだった。とにかく彼女の提案に乗っかってみたら、岩木山の中腹にあるホテルに着地してした。明日も明確な予定は立てていない。とりあえず岩木山の反対側のふもとにある岩木山神社に行くことだけは決めていた。
「明日の夕方には戻るから」
そう子どもたちに伝えて出てきたので、14:00時頃には新青森駅を発つ必要がある。今のところそれだけが決まっていることだ。google mapで岩木山神社の場所を確認していると妻が話しかけてきた。
「ここから、キリストの墓って近いかな?」
「キリストの墓?」
「青森にあるらしいの。ネットで調べてみて」
妻はどこでそんな情報を集めてくるのか。キリストの墓より、そっちのほうが気になりながらも、ググッてみるとちゃんと出てきた。 「あった!」
本当にあった。どうやらキリストの墓は、新郷村という場所にあるらしい。新郷村の公式HPでも紹介されているし、フォートラベルの口コミガイドにも載っていた。地図で調べると今私たちのいる日本海側とは逆の、どちらかといえば太平洋側寄りのところにある。走行距離にすると約130Kmか。
「けっこう遠いね。帰りの時間に間に合うかな? 行くか行かないかは明日決めよう」
といことで、既に日付は今日に変っていたので、眠りについた。
翌朝、9時前に車へ乗り込みホテルを出発した。今日も長い一日になりそうだ。岩木山を右に見ながら、時計回りのルートで岩木山神社へ向かう。山頂に雪を冠した岩木山が東からの陽の光を受け輝いている。眼前には、見通しのいいドライブウェイが、上り下りを繰り返しながら、まっすっぐ伸びている。しばらく走っていると、標高が低くなるに従い、道の両側にりんご畑が増えてきた。思い出したように妻が口を開く。
「もう10年以上昔なんだけど、木村さんに会いに来たことがあるの」
「木村さんて、もしかして奇跡のりんごの?」
「そう。マスコミとかに出て有名になる前なんだけど」
「へーー。なんで?」
「知り合いの人の実家が木村さんと親しくて。りんごを育てている面白い人がいるから会いに行こうっていうことで、友人達と一緒に会いに行ったの」
「そうだったんだ」
「でもね、当日はすごく天気が荒れていたの。だから飛行機が飛ばなかったりして、結局当日青森まで来れたのは私だけだったの!」
「えーー! それでどうやって青森まできたの?」
「とりあえず、行けるところまでいこうと思って、電車を乗り継いいできたら、来れちゃった」
「じゃあ、結局1人で会いに行ったの?」
「うーうん。前日入りしていた人達もいたから、その人達と」
「そうだったんだ。それにしても、流石だねそういう時の突破力」
妻といると、この人の目前の道が自然と開けていくということがよく起こる。いったい私と何が違うのだろうか? しばらく木村さんとの思い出話を聞いているうちに岩木山神社へ到着した。
参道は、樹々に挟まれながら岩木山山頂へ向けてまっすぐ伸びている。一の鳥居、二の鳥居、その次の鳥居と斜面を連なりながら、本宮のある森のほうへ吸いこまれていた。そのため下からは本宮の姿を捉えることはできない。しかし、鳥居を通り越して遥か上のほう。両脇の背の高い樹々の間から、雪化粧が残る山頂が荘厳な顔立をのぞかせている。この神社は創建から千二百が経つといわれている。参拝を終えて駐車場まで戻ってきても、正午まではまだ1時間以上あった。妻に聞く。
「あそこ、いく?」
「行こう!」
カーナビに新郷村の住所を入力しキリストの墓を目指した。市街地を抜け、東北自動車道を1時間ほど南下する。「十和田」で高速をおり東へ向かった
「目的がないのは退屈?」唐突に妻が聞いてきた。
「いや、そんなことないけど」
IT系の企業で働く私は、目的がなかったり、効率的でないことには耐え難いと思われているらしい。自分ではそうだと気づいていないが、普段の行動に現れているのかもしれない。妻の直感にのっかるかたちで始まった今回の旅。でも、これは私のための旅なのかもしれないと思い始めていた。日ごろ企業で働く我々のような人間は、常に目的や目標を持つことが良しとされ、さらに結果を出すことを求められる。それは小学校に入学するころから始まる。場合によってはもっと早いかもしれない。目標を持ちなさい。いい結果を出しなさい。そんなことを親や学校から、あたかも社会的な義務のように教えこまれていくのだ。
道路はブナの原生林の中をうねうねと蛇行しはじめた。日差しを受けた新緑が頭上を覆い、根元には、幅の広い葉をつけたツートンカラーの笹が地面を覆う。道のすぐ脇を、道路とほぼ同じ幅の川が力強く流れている。雪どけ水の川はライトブルーに数滴だけグリーンをたらしたような深かく綺麗な色をしている。人生に目的や目標は必要なのか? そんなことを自分に問いても意味がないことは、頭ではわかっている。なぜなら、わたし達は脳のあやつり人形なのだから。
信じたくはないが、科学では不思議なことがわかってきている。どうやら我々には自由意思がないらしいということ。いやいや、そんなわけないでしょと思うかもしれないが、これまで多くの研究者が自由意思の存在を否定してきた。それによると、意識は脳がくだした決断に対して、後付けで「自分が決断した」のだと思い込んでいるだけだという。例えば、水を飲もうと思ってテーブルの上にあるコップへ手をのばすとする。手が動き出す0.2秒前には、“意識的な決定を促すシグナル”が脳から出ることがわかっている。しかし、さらにその0.35秒前には、“意識的な決定を促すシグナル”を促すための別のシグナルが脳から出ていることが解明された。例えると次のようになる。
「青森へ行くという意識的なシグナル」が出て→「青森へ行く決断」をするのではなく、「シグナルを出すためのシグナル」が脳から自発的出て→「青森へ行くという意識的なシグナルル」が出る→そして「青森へ行く決断をする」になるからだ。
自分で話していてもこんがらがってくる。まあ、簡単に言うと「自由意思はない」と言うことだ。はじめて、これを知ったとき全く信じられなかった。先に脳が決定したことを、後から意識が追いかけで、さも自分が決定しているかのように錯覚しているだけなのだから。そういう意味で言うと今回の旅も、初めから目的を持って計画していようが、していまいが、結局そこに私の意思は反映されていないことになる。つまり自然に運ばれてきただけということ。だとすると、人生に目的は必要なのか? 生きる意味はなんなのか? それを考えることすら、自分では決めていないとすると、もうお手上げなのであった。
14:00に近づいた頃、ようやく新郷村についた。キリストの墓はすぐそこだ。スマホで、新郷村のHPを調べると「ゴルゴダの丘で磔刑になったキリストが、実は密かに日本に渡っていた」と書かれている。詳しくは様々な情報がインターネットで調べればでてくるので、そちらに譲ろう。
キリストの墓にはその歴史を伝える伝承館が併設されていた。説明によると、茨城県磯原町にある皇祖皇大神宮の竹内家に伝わる竹内古文書から、青森にあるキリストの墓に関する記述が発見されたという。昭和10年頃のことらしい。是とも否とも言える根拠はないが、あのイエスさんが日本へ来て、ここで野菜を育てたり、昼寝していたのかと思いを馳せるだけでも面白いじゃないか。
「お腹すいたね」
「腹減った」
もう、お昼はとっくに過ぎていた。途中で食べる場所もなくここまで来てしまったので、中途半端な時間になってしまった。そして、14:00頃の新幹線にのる予定だったが、その時間はとうに過ぎていた。
「とりあえず、子どもたちに遅くなると連絡した方がいいよね」
「そうね。あれもしかして、あなた明日も休み?」
「ああ、そういえば明日祭日だったね」
4月30日は昭和の日の振り替え休日だった。
「今日も、泊まろうよ!」
「えっ」
と一瞬考えたが、乗りかかった船だ、最後まで付き合おう。これも流れなのだ。そもそも、私が意思決定することなどできないのであった。すでに決められた結果なのだから。オッケーと返事をして、子どもたちには帰りが一日延びる連絡を入れた。
「次は、どうする?」と妻に聞く。
「大石神ピラミッドというのが近くにあるらしいよ。そこ行こう」
「すごいね! 今度はピラミッドか」
こんな日本の山奥にピラミッドがあるなんて。ワクワクして目が星になってくる。私達は再び車をスタートさせた。私はハンドルをにぎり車を運転している。と思っているが、本当は運転しているのは「私」ではない。錯角しているだけなのだ。だとしたら、そこに人生と呼ばれるものがあるのか?
「あのさあ、よく君が『起こることが起こっているだけ』っていうじゃん」「うん」
「じゃあ、人生に夢と目標って必要ないの?」
「私は、人生に夢とか目標って、無くてもいいと思っている。もちろん、あってもいいんだけど」
「そうなんだ」
「本当にみんなが欲しいものってなんだか知っている?」
「ええ! 何それ? わかんない」
「結局、みんなが最もほしいものは『今』にYESって言えることなの。殆どの悩みって、今が『NO』の状態だから。そして、それしか選べないことがストレスなんでしょ?」
「なるほど。そしたらどうすればYESになるの?」
「本当はね、目標を持ったり、変わろうとしたりしなくていいの」
「マジで?」
「任せておけばいいの。そうすれば、自然に動き出してくるの」
「信じられないんだけど……」
「結局、成ろうとしなくてもなっちゃうの。逆にいうと、人生に対して何もできないってことが本当にわかると、人生の方がYESと言い始めるの」
会話はそこで終わった。もはや私の思考の範疇を超えていた。妻とこういう話を始めると禅問答のようでよくわからなくなる。
「それからさ、今夜雲谷(モヤ)に行こう」と妻が言い出した。
「雲谷? そこは何があるの」
「YOUTUBEでやってたんだけで、家でした50代のピアノの調律師が雲谷っていう場所でUFOを見たんだって!」
「あ、それ面白そう! 行こう行こう」