【インド旅行編】上海空港で痛恨のアクシデント! インドへ行けるのか?

まさか、上海空港でそんな悲劇が起こるととは思っていいませんでした。この日、私は人生初のインドへ妻と中学生の次女と一緒に向かっていました。成田空港を定刻通り出発した私たちはは12:30頃上海空港へ到着しました。

14:30上海発ニューデリー行きの便まで時間がありそうであまりありません。なぜなら、成田空港のチェックインカウンターでこう告げられていたのです。

「成田から上海はJALと中国東方航空のコードシャア便のため、上海からニューデリー間の中国東方航空チャックインはここではできません」と。

手間はかかるけど仕方がありません。職員の制服を着た人に英語で国際線の乗り継ぎ方法を教えて欲しいと聞いていくが「わからない、あっちで聞いてくれ」といった感じで全く要領を得ない。それでも何とか無事に乗り継ぎ手続きを済ませ、再び出国検査を済ませ搭乗口へ向かった。この腕時計の時刻は、13:15でした。出発時刻の14:30まで少し余裕があります。実は、この時すでに悲劇は始まっていました。しかし、私はそのことに気づいていなかったのです。

私たちは、乗り継ぎ便の搭乗口である16番ゲート手前のカフェで、搭乗時間までコーヒーでも飲んでいようと決めます。13:25頃、出発ゲートの様子を見ようと16番ゲートを見に行きましたが誰もいません。ちょっと早いからまだ誰も来ていないのかもしれません(そんなわけないのですが……)。そこで、私はモニターに表示されている16番ゲートの次のフライトをチェックしました。でも、そこには私たちの乗るはずの便名がありません。あれ、なぜだろう? ゲートを間違えたのでしょうか? いやそんなことはありません。場所はあっています。私は再び腕時計をみました。13:30。あれ? なぜだろうこの違和感は……。

なんとなく、胃のあたりにいやな感じがしてきました。私は空港の時計をみました。14:30になっています。ん?。私は、もう一度腕時計を確かめます。私のカシオPRO TREKは13:31分を表示していました。なにかとてつもなくヤバイことが起きている。そう直感が告げています。胃のあたりが締め付けられ、急激に血の気が引いていくのがわかります。待てよ……。私はもう一度腕時計をみました。腕時計の表記がBKC(バンコク)となっています。ここは中国だからHKN(香港)でなければならないはずです。まずい! 慌てて香港時刻に腕時計を戻しました。時刻は14:32.頭の中で赤い回転等が点滅しサイレンが鳴り響いている。嘘ですよね? 嘘であって欲しい。私は走りだしました。家族の待っているカフェへ。「ごめん、もしかしたら時間を間違えていたかも! ここで待ってて。確認してくるから」といって、大急ぎで空港職員がいる入国検査場へ走りました。3人の職員がカウンターで談笑しているのが視界に入りました。「すみませんこの便に乗るのですが間に合いますか?」といってチケット見せます。職員はチケットを一瞥し、自分の腕時計を見ました。そしてパソコンでチェックをします。「これは出発しちゃったよ」、そう告げられました。一気に血の気が引き、食べたものをもどしそうな吐き気に襲われます。

大急ぎで家族のもとに戻ってそれを伝えました。彼女たちも動揺しています。とにかくアクションを起こして現状をどうにかしなければなりません。まずはじめにしたことは、空港の職員に飛行機に乗り遅れてしまったことを伝えることでした。すると、職員の方は慣れた感じで私たちを入国審査ゲートから連れ出し、搭乗する予定だった中国東方航空のカウンターへ連れてってくれ事情を説明してくれました。

カウンターの女性はすぐに自体を把握し、ニューデリーへ行ける便を探しはじめてくれました。しかし、残捻ながら中国東方航空のニューデリー行きの便は、今日も明日も空席がないことが判明します。

日程を優先するのか、費用を優先するのか? 流石に明々後日までは待てません。「すみません、とにかく明日にはニューデリーまでたどり着ける方法を探してください」とお願いをしました。すると、エア・チャイナを使えば、北京経由でニューデリーまで行けることがわかりました。「値段は? 値段はいくらかかるんですか?」と、聞く私に気絶しそうな金額が伝えられます。

「他の航空会社なので1人10万円かかります。どうされますか?」まじですか! 東京とニューデリー間の往復航空券より高いじゃないですか。頭がクラクラして、胃が締め付けられてきました。しかも、今すぐ決断しないとその飛行機にも乗り遅れそうです。待った無しです。私は決断しました。

「OK! そのチケット手配してください」背に腹は変えられません。断腸の思いです。そして、これで終わりでわありません。今私たちがいるのは第一ターミナルですが、手配したチャイナ・エアの便は隣の第二ターミナル発です。出発時間まで1時間をきりました。ここから移動して、チケットカウンターでチケットを受け取り、保安検査を通過して、搭乗ゲートまで行くことを考えると、ギリギリです。親切な中国東方航空のお姉さんが、小走りに先導して私たちを案内してくれます。私たちも重い荷物を背負い離されないように必死で走ります。

こんな必死の状態にありながらも、どういうわけかそれを冷静に楽しむもう1人の私がいることに気づきました。こんな、究極のハラハラドキドキアトラクションは、30万円払った痛恨の出費があればこそだと、思う自分がいるのです。まあ、そういう解釈でもしないと、この現実を受け止めきれないのかもしれません。脳科学によると、私たちの脳は後付けで勝手に納得のいくストーリーを付け加える機能がそなわっているそうです。

息を切らしながらチャイナ・エアのカウンターに到着すると、そこには他の旅客が列をなしていました。中国東方航空のスタッフの女性が、チャイナ・エアのカウンタースタッフにかけあって急いで欲しいと催促してくれています。なんと素敵な人なのでしょう。飛行機に乗り遅れた見ず知らずの日本人の私たちのために隣のターミナルまで走ってくれた上に、急ぐよう対応を促してくれるなんて。まさに神対応。中国東方航空すばらしい!

さて、そんなことをしている間にも時間は刻一刻と過ぎていきます。こういう時ほどもどかしさを感じる場面はありません。気持ち的には、自分たちの前にいる旅行者を押しのけていきたいほどの焦燥感が身体中に充満していきます。果たして私たちは無事に飛行機に乗れるのか……。

3月17日午前1:30。私たちはニューデリー国際空港に降り立ちました。あれから、バッタバタの乗り継ぎを経て、なんとかここまでくることができました。胸の中には、たどり着いた安心感の奥の方に、大金を失った悲しみがずっしりと横たわっているのを感じます。でも仕方がありません。起こってしまったことは、起こってしまったことなのです。それを今から変えることはできません。私にできることは解釈を変えることだけです。

そういえば、脳科学でこんな事実がわかっています。それによると、人間は自分で意識する前から既に脳が行動するための信号を発していることが実験によりわかっています。例えば、コーヒーを飲むために、テーブルの上にあるカップに手を伸ばしたとします。私たちは自分で意識してカップを手にとった思っていますが、実はそうではありません。コーヒカップを取ろうと決断して、実際に手を伸ばす数秒前から脳が手を伸ばすための信号を発しているのです。だから、本当は手が勝手に伸びてコーヒーカップを掴んだことに、つじつまが合うよう「コーヒーを飲もうと思った」と、理由をくっつけているだけなのです。つまり、そこに自由意志はないという説が一般化してきているのです。(もちろん、それに異を唱える研究者もいます)

そう、だから私が飛行機に乗り遅れたのは私が時間を間違えたのではないのです。もう既に、そうなるようになっていたわけであって、脳が勝手にやったことなのです。それを悔やんでもしょうがありません。そして、その損失を取り戻そうと倹約するのも、頑張って働くのも私の意思の成せることではありません。そう考えると、少しは自責の念から解放されるというものです。ほっとしたら、お腹がすいてきました。おししいカレーはどこで食べられるのでしょうか?

参考文献:『〈わたし〉はどこにあるのか 著者マイケル・ガザニガ』

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