人生の方から、自分を見つけてもらう方法

「待ってくださーーい!  待ってくださーい」全力で追いかける。でも私の思いとは裏腹
に、その軽トラックのテールランプは徐々に遠ざかっていく。それでも必死に追いかける。最後の力を振り絞り叫ぶ。「待ってー!」しかし、私の声はスピーカーからの音にかき消され、運転手には届かない。諦めとともに走りを緩めた。遠ざかるテールランプを見ながら、悔しさが込み上げてくる。右手には固く握しめられた千円札。怒りなのか、悲しさなのか、はけ口の見つからない、なんとも言いようのない感情が、胸のあたりに渦巻いている。そして、踵を返しともと来た道を、俯きながらトボトボと家の方へ歩き出した。遠く背中の方から擦れたテープの声が聞こえてくる「いーしやーきいも、やーきたてー」。

石焼き芋を食べると、たまに子供の頃の記憶が蘇ってくる。そんなほろ苦い記憶にもめげず42歳を過ぎて、最近ますます焼き芋が好きになっていく私。今日は、会社の同僚の池谷さんと、二人で渋谷にあるP/manという居酒屋で飲んでいる。

「酒をやめたら、甘い物を食いたくなってくるよ。まあ、もともと甘党なんだけどさ」。酒をやめた話の流れで、私はスイーツの話をしはじめた。

「そうなんだ。ケーキとか?」と、興味深そうに返す池さん。
「ケーキもすきだけど、どっちかっていうと和だね。大福とか」
「へー、和菓子系ね」
「そう。最近俺の中では、焼き芋がブームになっててさ」
「ほっほぅ、焼き芋ブームですか!? そういえば昨日会社の前に焼き芋屋が止まってたの知ってる? それでさぁ、メニューが“小さい”と“スモール”の2つだけなの。どう違うんだって、一緒にいた赤峯さんがつっこんでたけど」
「あー! 知ってる。思わず買っちゃったから、そこで。“スモール”の200円」
「あぁ、はっは」と、池さんが笑う。

「おかわり、どう?」と、いつもどおりフランクに店員のマリさんが聞いてきた。ブラックのシャツとパンツに、黒いエプロン。そして長い黒髪を後ろで束ねている彼女。池さんが「同じもので」とこたえる。マリさんの黒い瞳には、かわいらしさと妖艶さの両方が漂っている。小悪魔のような魅力をもつ彼女からおかわりを聞かれると、断るのが難しいのだ。彼女はこの店がオープンした10年ほど前からここで働いている。だから昔私が週に2日は、1人でここに酒を飲みに来ていたことも知っている。

「中野さん、買った芋どこで食ったの?」と、面白がって池さんが聞いてくる。
「ああ、歩きながら。客先へ行く前に」
「あぁ、はっは。途中ですか。それで、味は?」
「旨かったよ。シルキースイートっていう芋を使っているって書いてあった。シルキースイートって、マロンのような甘さがあって旨いね」
「おっ、くわしいねぇ。他に焼き芋ってどんな芋があんの?」と、私のツボを心得ている池さん。

「他には、安納芋とか紅あづま、紅はるか、とかかな。安納芋は種子島の芋で丸っこい形してる。皮の色が一般的なサツマイモより、やや薄くて黄土色っぽい。身はネットリ系で甘いよ」と、既にスイッチが入り気味の私。さらに、私のうん蓄はつづく。

「紅あづまは、いわゆる“焼き芋”って感じ。ホクホクしていて、甘さは普通かな。さめるとあまり旨くない。それから、俺のお気に入りの紅はるか。見た目は普通なんだけど、食べると身はシットリ系で、マジか! って思うほど甘い。そしてかすかな酸味があってフルーティー。これは革命的だね」。マリちゃんがドリンクを運んできて、池さんの前に置いた。

「焼き芋って、女の子のイメージがあったんだけど」と、特に他意のなさそうな顔で池さんがいう。「まあ、そうかもね。そういえば桜新町の駅前に、時々焼き芋屋さんがいてさ、仕事帰りに見つけたら娘たちに買って帰るんだよ。うちでも、けっこう焼き芋の人気高い」

このところ、桜新町駅の北口付近に、夜になると焼き芋屋さんが停車販売しているのを見かけるようになった。おそらく60歳前後くらいだろうか。人のよさそうなおばちゃんがやっている。ここで焼きいもを買うと、よくオマケをしてくれる。2本買ったら、1本オマケしてくれたこともあるのだ。

「ある時、うちの子ども達の食べ方を見ていて気づいたんだけど、彼女たち焼き芋の皮を綺麗に剥いて食うんだよね。俺は皮ごと食っちゃうけど」

「俺も皮ごと食べる派だけど」と、やや酔いの回ってきた池さんが同意する。
「焼き芋ってそのまま食べるものじゃないの? って感じで、ちょっとしたカルチャーショックだったよ」
「家庭内カルチャーショック!」と、しょうもないことを言い、池さんがグラスを口に運ぶ。

「でもさ、ちょっとまっておくんなさいと。焼き芋は皮も食べるから旨いと思うんだけど。あのパリパリ感がいいのに。どうもあの子たちは焦げたのが嫌らしんだよなー。子ども達がそうして食べているのは、当然妻が皮を剥いて食べるからなんだけどね……」
「ああ、なるほど」
「でもさー、あの甘みに、たまにフェードインしてくる、焦げた皮のほろ苦さ。わかる? 絶妙じゃない。焼き芋の皮をむいて食うのは、プリンのカラメルソースだけ残して食うのと一緒だって。俺からすると、肝心な部分を捨てているようで、もったいなく思う」
酔ってもいないのに、くだを巻きはじめる私であった。

「知ってた? この空前の焼き芋ブームにはひとつ問題があるって」もったいぶった調子で私が言うと、「なーに、なにー」と身を乗り出すように聞いてくる池さん。

「いくら今日は焼き芋が食べたい! って思っても、焼き芋屋がいないと買えないってこと」
「そりゃ、そうだ。家の近くを運よく焼き芋が通り過ぎるとは限らねぇし」
「そして、家の近くのセブンイレブンでも、ローソンでも、さすがに焼き芋は売っていない」
「ないねぇ」
「焼き芋って、けっこう下に見られがちな大衆スーツだけど、意外と希少性の高いスイーツなんだよ」
「たーしかに。言われてみれば」と、池さんがうなずく。
「ある意味、焼き芋屋に遭遇することって、ドラゴンクエストのメタルスライムに遭遇することくらいレア」
「おおっほほ! 出た! みたいな」

「食べたいと思えば思うほど、それがいかに難しいことか、気づかされるよね。だれか、焼き芋屋が、今どこにいるのかがわかるアプリを開発してくれないかなぁ?」冗談ではなく、切実にそう思う。「あ、すいませーん。芋のロックひとつ」通りかかったマリさんに、注文する池さん。

すると、何かを思いついたように、池さんが口を開く。
「そーいえば“全国タクシー”というアプリがあるの知ってる?」
「いや、知らない」
「このアプリを起動すんと、自分がいる地点の地図がでて、今近くにタクシーがいるのかどうかがわかんの」言いながら、池さんが上着の右ポケットからスマホを取り出した。アプリを起動すると、いまいる場所の地図が現れ、道の上を黒いタクシーが、何台もピコピコ動いている。「マジか! 動いてる」見ているだけで結構楽しくなってくる。

このアプリで“タクシーを呼ぶ”ボタンを押すと、地図上を自分の場所に向かってくるタクシーが表示され、到着時間がわかる仕組みになっている。と説明してくれた。さらに、このアプリを彼の妻のスマホにインストールしてあげたところ、「わー、まるでゴキブリみたい!」とはしゃいでいたと、楽しそうに彼が話している。

「じゃあさ、もし“全国焼き芋屋”というアプリがあれば、焼き芋を食べたくなった時に、いつでも焼き芋屋を呼べるね」
「中野さんくらいしか使わないっしょ、それ」池さんがすかさず、つっこんでくる。

「でも、池さん。焼き芋屋を待つってのは、言い換えるとさ、人生に降りてくる偶発性に身をゆだねているだけじゃない?」
「ほう。人生まで広げちゃいますか、中野さん」

「広げて、ないない。日常のこういうのって、人生への向き合い方そのものだから。結局こういうことを積み重ねたのが人生ってよばれるものなんだよ」
「なーるほど。深いーね。中野さん今日はどしちゃったの?」
自分でも、なんか不思議な気がする。全く知らない自分が話しているようだ。
「ただ指をくわえて、焼き芋屋が人生に現れてくるのを待つだけで満足してていいのかって気がしちゃってさ」
「そこ、ぜんぜん共感できねぇし。俺焼き芋そんなに食わねぇから」
「いや、芋の話じゃなくて、人生の話してるから」
「ああ、そっちの話ね」どうやら芋のロックが、かなり効いてきているようだ。

「だからさ、待ってるだけじゃなく、もっとこっちから捕まえにいった方がいんだよ。すみませんーん、焼き芋食いたい! って声上げて」
「そうだ、そういうのいいね! 欲しいもんは、欲しいってどんどん言った方がいい。そしたら人生の方から、こっちを見つけてくれますと。あぁ、はっは」と、また池さんが笑った。

「よし、焼き芋こい!」
「芋こいと!」

「はい、どーぞ」マリさんが料理を運んできた。皿の上には、5ミリほどの厚さにスライスされ、こんがり焼かれた安納芋が盛られていた。香ばしい香りがテーブルを包む。芋にはラインを描くように適度にハチミツがかけられ、皿の脇のほうに添えられた白い小さなポッドには、トロけたゴルゴンゾーラチーズが入っていた。しかし注文した覚えはない。
「何これ? マリさん」
「え、店からのおごり。いつもありがとうございます」

「あぁ、はっは」。

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