『デッド・ドント・ダイ』が伏線を回収ない件

「ああ、やっと観れた」。
本来なら今年の4月頃から封切りされる予定だった『デッド・ドント・ダイ』。ジム・ジャームッシュ監督のゾンビ映画ということで楽しみにしていたのだけど、コロナの影響で緊急事態宣言が発令されたりと公演が延期されていた。

ジム・ジャームッシュといえば、バウンバイローやミステリー・トレインなどに代表されるような、オフビートな笑いや独特の間の撮り方、渋い音楽といった映画づくりが印象的な監督だ。奇才としてそのポジションを確立する彼がつくるゾンビ映画とはどんなものなのか・・・。

まずはキャストに注目したい。警官が3人しかいないアメリカの田舎町。ゴースタバスターズのビル・マーレーや、スターウォーズのアダム・ドライバー等が保安官役を務める。個性的な役どころにナルニア国物語のティルダ・ウィンストンにファーゴのスティーブ・ブシェーミもいる。さらに、イギー・ポップやトム・ウェイツといったミュージシャンまでも。この人たちが、ゾンビ映画に出てくるだけでもゾクゾクしてしまう。

映画ははじめから不穏な雰囲気を漂わせている。しかし、一方でゾンビ映画にも関わらず、牧歌的な穏やかさもあり、この力の抜け加減が絶妙にいい。いわゆるスリルや感動、美しさ、物語性といったところで、一般的にいい映画と言われる要素は殆どない。しかし、それこそが今回監督が目指したとことではないだろうか。

これまで、数々の名作を創り、いくつもの賞を受賞してきた監督だから、伏線をいくつも走らせて最後に見事に回収していく。こともできるのだが、まったくそれをしない。いや、むしろ伏線の回収どころか物語が空中分解していく様は潔く、なぜか安堵感を覚えてしまう。

人は映画に感動やスリル、笑いといったある種のカタルシスを求めがちだが、あえてそのような期待に答えず、かといって最後まで飽きさせることなく映画を観させてしまう力量には脱帽してしまうのだ。

たまには、こんな映画もいいものです。

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