子供の頃から親の葬儀が心配だった理由

「気をつけて欲しいのは、閻魔様へ行く前の裁判官。彼はめちゃめちゃやさしいので、そこで嘘ついちゃうとチェックはいっちゃって、閻魔様のところで大変になるの」。ちょっと待ってれ。一体なんの話をしているんだ? オフィスの隣の島から聞こえてくる女性社員たちのヒソヒソ話。私はPCで顧客へ送るメールを打ちながら、一方では微妙に耳に入ってくる彼女たちの会話が気になって仕方がない。

「仏に近づいてくると物事の区別がなくなってきて・・・」。最後の方が、よく聞き取れなかった。どうせなら堂々と大きな声で話してくれ。そのトーンで話をされると、余計に仕事がしづらい。そもそも、なぜあの人たちはオフィスでそんな話をしているんだ? 今ここで話さねければならないほど重要な話なのか? 君たちはまだ30代前半じゃないか。私だって、まだ40代だ。閻魔様と会うにはまだ時期尚早ってもんだ。まあ、確実に老いてきたことは否めないが。それでも、あと数十年は彼とは合うことはないだろう。ただ、最近気になることはある。

それは、自分に色々と老いの兆候が微かに出始めていることだ。それは、本当に些細なもの。だから気のせいだと済ましてしまえば済ますこともできる程度。でも私は、その些細な兆候が気になる。例えば、食事の後片付けで食器を洗う時、食器をぶつけることが多くなった気がする。まあ、割ってしまうほどではないが。それから、体をあちこちぶつけることも多くなった。20代の頃と比べて体重が増えている訳ではない。でも自分が思っている体と物理的な体の認識が、1、2cm程ずれてきているようだ。キッチンのカウンターの角でザッと腰をすったり、足の小指を椅子の足にコツッてぶつけたり。多分、老いというやつは、家主に気づかれないように、こっそりとやってくるのだ。老いがやってきて居座るのは仕方がないと思っている。だから追い出そうとは思はない。でも、せめて入ってくるところは見つけたい。なぜなら、“こっそり”こられると「見っけ!」って言いたくなってしまうからだ。子供の頃は、いつかそれが自分にやってくるなんて想像すらしなかった。お爺さんは、もともとお爺さん。お婆さんは、もともとお婆さんだと思っていたから。いつか自分がそうなるものだとは知らないのだ。

あれは、幼稚園の頃だった。ある日、幼稚園から帰ってくると、いつもと家の様子が違うことに気づいた。木製の引き戸の玄関は空いていて、暗い家の中が見える。近所の大人たちがウチにあつまっていた。おばさんたちは、片付けなのか準備なのかわからないが、なにやらせわしなく動き回っている。居間の奥にある畳の部屋では、いつもと同じように寝たきりのお爺ちゃんが布団で寝ていた。その枕元に弟がすわってなにやらお爺ちゃんの顔をいじっている。母が私に言う「おじいちゃんは、死んじゃったの」。そう幼い私に教えてくれた。そうなんだ。特に悲しいという感情はなかった。だけどもう会えなくなるということは直感的に理解できた。枕元のにいる弟の横へ座る。弟は死んだおじいちゃんの右目の瞼を、人差し指で開けたり閉じたりしていた。私もやってみたくなった。そして左目の瞼を指で開けたり閉じたりしてみた。おじいちゃんからは何の反応も返って来なかった。子供心に、それをやっているのはまずい気がして指を離した。晩年は、ほぼ寝たきりだったお爺ちゃん。そんなお爺ちゃんと、唯一いっしょに散歩へ出かけた記憶が残っている。

家の裏山にある池に行く途中、舗装された坂道を二人で歩いてた時だった。「かーーっ、ぺっ」とお爺ちゃんが口から何かを吐いた。その音は、喉に詰まった、ちり紙を吐き出しているような音だった。だから、お爺いちゃんが口から紙クズを吐き出したと思った。でもアスファルトの道路の上に、紙クズは落ちていなかった。お父さんも、たまにそれをやることがあった。でも、やはり紙クズを地面の上に見つけることはできなかった。口から吐き出した紙クズが消えた。私はそう思っていた。まだ、タンが絡むことを知らない幼稚園児には、理解ができない不思議な現象であった。そんな幼稚園児に“老い”とか“死”なんて理解できるはずがなかった。

「俺が先に死ぬから」

「私が先に死ぬからあなたは私の後に死んで」

「ズルくないそれ?」

たまに、妻と私でどっちが先に死ぬか論争が巻き起こる。私も妻も残されたくない派だから、先を競い合う。と言ってもお互い早く死にたい訳ではないので、今から数十年後の非現実的な未来の話をしている。

「わかった、じゃあこうしよう。先に死んんでいいから、俺は1日後に死ぬ」もちろんそんなことが、できるわけがない。多分。でもそれが話の落とし所ってもんだ。もし二人が立て続けにいなくなっても、その時の娘達なら上手くやってくれるだろう。いま二人の娘は、上が高校1年生で下が中学2年生になる。3年前は、まだ二人とも小学生だ。たった3年しか経ってないのに、かなりちびっこだった。あの頃と比べると随分大きくなった。そりゃこっちは年を取るってもんだ。逆に私の両親は70代後半になるけど、加速がついたように小さくなっていく。仕方のないことだ。自然の摂理に抗うことはできない。人間いつかは死ぬ時がくる。このままいけば確実に両親の方が私より先に死ぬことになるだろう。

実はそのことで、私は小学生の頃から心配していたことが2つあった。一つ目の心配事は、「両親が死んでしまった時、泣けなかったらどうしよう」というものだ。きっかけは、おじいいちゃんの葬儀。両親を含め、普段泣かない大人たちが悲しんでいた。だから人が亡くなったら泣かなくてはいけないものだと思い込んでしまった。でも、幼稚園児だった私は全く悲しくなれないのだ。やばい、もし自分が大人になった時、両親が死んでも泣けなかったらまずい……。そんなことを心配するようになっていた。この心配は、大人になるにつれて、いつの間にか無くなっていた。もう一つの心配ごとのきっかけは、小学4年生の時、婆ちゃんが死んだ時だった。この時、母親の兄である叔父が喪主を務めた。喪主はお通やや葬儀で、参列した皆さんの前で挨拶をする。私は、将来長男である自分が、喪主を務めることを想像して怖くなった。なぜなら、子供の頃から人前で話をするのが極端に苦手だったからだ。親が死ぬことより、自分が人前で話すことの方が心配な子供なのであった。いつか、あれをやる日が来るのか。それは、大人になっても変わらなかった。できることなら両親に長生きをして頂きたい。色々な意味で。こんな私の悩みを妻に話したことがある。

「あのさ、俺人前で話をするの苦手じゃん。だから子供の頃から悩んでることがあるんだよね」

「え、どんなこと?」

「ゆいじってあるじゃん」

「ゆいじ?」

「あれ? 葬儀の時、前で話すやつ“ゆいじ”っていうんじゃないの? 弓みたいなじに辞表の辞を書く……」

「ああ、ちょうじのことね」

「ちょうじって読むの?」

いい歳して、弔辞をちゃんと読めない私であった。

「子供の頃から、そんなこと心配してたの? 面白い人だね!」

なんてことを。こっちはもう30年以上心配しているんだ。

「いやー、そんなこと言ったって悩みは悩みなんだ。人前は苦手だし、何を話していいかわからないからさ。だって、あらかじめ言うことを練習しておくものでもないだろう……」

「そんなの私が書いてあげるよ」

「書いてあげる? あれって読みながら話していいの?」

「そうだよ。だいたい葬儀屋さんが用意してくれるし」

「ええーー! そうなの!? 知らなかった。それならできると思う」

あっさり、心配事は解消されてしまった。持つべきものは妻である。

《終わり》

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