ミーコさんのギャミラサ

「いらっしゃいませー」ドアを開けると、スリランカ人の店主が迎えてくれた。 あっ、この人マイケル・ジョーダンに似ているかも。ジョーダンの身長を普通の大人サイズにして、太らせた感じ。10人入ればいっぱいになってしまうほどの店内に、お客さんは、まだ1人もいなかった。リンはカウンター席の真ん中に座った。

「もしかしてリンちゃん?」流暢な日本語で、ジョーダンが聞いてきた。
「あ、はい」そして、彼はカウンター越しにメニューを手渡してくれた。

「智子さんから聞いてるよ。おすすめは、 ギャミラサ ね」
「ギャミラサ? それってなんですか?」
「 ギャミラサ はね、スリランカの家庭料理です。スリランカではだいたい毎日食べる」
「へーー」

メニューの写真をみると、白いお皿に細長いお米がもられ、その中央にカレー、周りに見たことのない副菜が何種類も盛られていた。せっかくのおすすめだし、それにしようかな。

「大丈夫。お金は智子さんからもらっているから」
「じゃあ、 ギャミラサ  でお願いします。」
「はい」

ジョーダンはカウンターの向こうで、小さなフライパンを手に取り料理を始めた。ジューーっという油がはじける音とともに、ニンニクの香ばしい匂いが漂ってくる。カタカタとフライパンをふるう音がして、手際よくいくつかの作業を平行してやっている様子。店内には、外国語の演歌のような歌がBGMで流れている。

「はい、お待たせしました」
5分ほどで、リンの前へギャミラサ が運ばれてきた。
「わーー!」
インドっぽいエキゾチックな香りが、リンの食欲をかきたてた。

「よく混ぜて、食べるね」
「混ぜるんですか?」
「そう、混ぜるとおいしくなる」

「はーい!」そういって、リンはスプーンでライスの上に盛られた料理を少し混ぜ、一口目を口に運んだ。ん? なにこれ?
「おいしい!」そういって、ジョーダンを見るとドヤ顔微笑んでいた。彼女が食べ始めて少しすると、ジョーダンは何も言わず店から出て行ってしまった。リンは、それよりもギャミラサのおいしさに夢中になっていた。

ガラガラガラ。入り口の引き戸が開く音がした。はじめリンは、ジョーダンが戻ってきたのだと思っていた。ギャミラサを食べながら、視界の端をノソリ、ノソリと大きな人が入ってくるのがわかった。お客さんだろうか? その大きな気配は、フサっという音を立ててリンの右隣に腰を下ろした。あれ? 不思議な気配を感じ取り、リンは右を向いた。

え!? なんで? そこにはリンよりも大きな三毛猫が座っていた。しかも姿勢良く。リンの視線に気付いた相手もリンの方を向く。お互いの視線が交差した。三毛猫の金色の瞳がクルクルと光り、瞳孔が縦に細長くなった。ハッとして正面を向くリン。

「猫だ……」リンは、そう小さくつぶやいた。
「それがどううしたのよ」と三毛猫が言った。
「あっ、すみません」

「あんた、見ない顔ね。この店初めて?」
「はい、はじめてです」
「なんで、入ってきちゃったのよ。ここに」
「親戚のおばちゃんの家に遊びに来ているんですけど、今日はおばちゃんの仕事が遅くなるから、知り合いのカレー屋さんで食べててと言われて」

「そのおばちゃんって、もしかしてゆきちゃん?」
「いえ、智子って言います」
「ああ、智子さんね。全然知らないわ」猫は自信満々でこたえた

「ところであんたいくつ?」と猫が聞く。
「15歳です」
「じゃあ、中学生ね」
「はい」

そういうと、猫はこちらを見た。今度は猫の瞳孔が丸く大きくなた。それから、猫は正面に向きなおすと、床につきそうな尻尾を箒のように動かしながら、何かを考えているようだった。この人、いやこの猫、オスかな? それともメス? 疑問におもったが、リンはそれを聞かないだけの分別は持っていた。そして、再びギャミラサを食べ始めた。

「もっと混ぜた方がいいわよ」
「え?」
「ギャミラサ。そんな上品に混ぜてたら美味しさが伝わらないわ。もっと豪快にまぜるの」
えーーっ、もっとかぁ。でも、まずは一つ一つ味見をしてから食べたいのに。仕方ない! と気持ちを入れ替え、さらにギャミラサを混ぜて食べ始めた。

「わーー、ホントだ! もう味の区別はわからないけど美味しい!」
「でしょう! これだからやめられないのよ。ところでマスターどこいったのかしら?」
「さっき、出て行きましたけど」

「まったく、どこで油うってんのかしら。ちょっと失礼」そういうと、猫は席を立ち、トイレに向かった。猫がトイレに入ると同時に、店主のジョーダンが何事もなかったように戻ってきた。
そして、カウンターへ入ると、何やら料理の準備を始めたようだった。

「リーーン、リーーン、リーーン」店の黒電話が鳴った。
「もしもし!」ジョーダンが電話に出た。そして、聞いたことのない外国語で話をはじめた。1分ほど話をした後、さっきと同じようにまた店を出て行ってしまった。

そこへ、トイレからでた猫が戻ってきた。
「あれ? マスターの声がしたと思ったけど」
「はい。今戻ってきて、またすぐ出ていっちゃいました」
「えーー! お客を待たせて何やってんのよあの人」

「そういえば、あなた名前なんていうの?」
「リンです」
「猫さんのお名前は?」
「私? そんな名乗るほどのもんじゃないわよ。ミーコ」
ああ、結局名乗るんですね……。

唐突にミーコが言った。「ある資産家が、旅行先のスリランカで大きな仏像を買ったの。資金をどのくらい使ったかわかる?」

「それって、今日のニュースとかですか?」
「違うわよ、なぞなぞよ、なぞなぞ」
なぞなぞですか。少しの間、リンは考えた。
「すみません。ぜんぜん答えがわかりません」リンがそういうと、ミーコのヒゲが微かにヒクヒクっと動いた。

「じゃあ、答えを教えてあげる。だいぶつかったのよ」
「だいぶ使った?」
「そう、大仏買った」
「あぁーー。大仏買ったんですね……」リンの声は、尻すぼみに消えていった。

ガラガラガラ。入り口の引き戸が開く音がして、ジョーダンが戻ってきた。
「ちょっと、あんた。待たせすぎよ」
「すみません、ミーコさん」

「いつものやつちょうだい」
「はい。ギャミラサのモグニャンダブルで」そういってジョーダンはモグニャンと書かれた缶詰を開け始めた。どうやらキャットフードらしい。そして、先ほどと同じように、いい香りが店内に充満し始めると、ミーコがいった。

「ギャミラサとか、合いがけのカレーって宇宙みたいなものよね」
「宇宙ですか?」とリンが聞き返す。
「そう。様々なスパイスの粉が、星々のように混じり合う感じが、もうギャラクシーでしょ! そして、もともと別々の味だったものが融合して、別次元の味の宇宙を作り出すの」

「あ、はい」と曖昧に返事をしたが、リンにはミーコの言っていることは、まったく共感できなかった。大人になるとわかるようになるのだろうか。ようやくギャミラサのモグニャンダブルが運ばれてきた。

ミーコはスプーンで料理をかき混ぜ、一口目を口へ運んだ。「うわっ、熱!」熱さに驚いて、スプーンを落としてした。「わかると思うけど、わたし猫舌なのよ。うっかり忘れてたわ」といい、フーフーしているミーコは可愛らしく見えた。

「やっぱり、これいつ食べても最高だわ。あんたも食べてみる?」と、ミーコは私に勧めてくれた。
「いえ、私はもうお腹いっぱいなので結構です」と、やんわり断るリンであった。流石にキャットフードは無理。

その日、リンは21:00すぎにおばさんの家に戻った。
「ただいまー!」
「おかえりー。リンちゃんどこへ行ってたの? カレー屋のシゲさんがリンちゃん来なかったって」
「え? おばちゃんが言ってたカレー屋さん行ったよ。タバコ屋さんの向かいの」
「なにいってるのリンちゃん。カレー屋さんはタバコ屋さんの裏よ。タバコ屋の向かいは今は空き地よ。あそこは去年火事で雑居ビルが燃えちゃったの」
「ええ! じゃあ私は……」
そう言いながら、リンは自分がきている白いシャツの右手の袖に、黄色いカレーのシミがついているのに気づいた。

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