BEL AMER ショコラショートのクライマックス

高校1年生の娘の用事で、土曜日に学校へ行くことになった。課外授業の説明会があるから出席して欲しいというのだ。自宅のある桜新町駅13:00から学校へ向かう電車の中で、あることに気づいた。どうやら早く出すぎたようで、ここまま行くと説明会が始まるまで30分程待つことになる。そこで、にわかに欲望が湧いて来たかと思うと、もはや発作のようにわたしを衝き動かした。

「ケーキが食べたい!」そう思った私は、既に渋谷駅のホームへ降り立っていた。本来であれば青山一丁目駅まで行って都営大江戸線に乗り換えなくてはいけないのに。なぜなら渋谷駅の地下にある、東急フードショーでケーキを買って食べる為であった。東急フードショーは謂わゆるデパ地下の食品売り場である。実は、ここにはスタンディングで食べるためのカウンターが売り場の一画にしつらえてあるのだ。ここで購入した、たこ焼きや御寿司、お弁当などをここですぐに食べることができる。何処でどうやって知るのか、最近では観光客の外国人もここを利用している。だから、30分という時間があればケーキを買って、ゆっくり食べても説明会に間に合うという事を、電車の中で咄嗟に思いつき行動へ移したのだった。

フードショーへ入った私は、洋菓子店が並ぶ一画を目指す。一番はじめに出逢ったのが Chocolat BEL AMERだった。チョコラット ベル アマー? 読み方が分からない……。ネットで調べてみるとショコラ ベル アメール だった。惜しい!。ショコラとはフランス語でチョコレート。BELは“美しい”で、AMERは“苦み”ということだ。つまり美しい苦みのチョコレートを売るお店だ。ショーウィンドウの棚には、チョコレート色のショートケーキが並んでいる。ケーキの上にはチョコレートクリームがたっぷりとのっかっている。私は呼ばれている。私は立ち止まった。そして迷わずお姉さんに注文した。

「ショコラを一つください」

「ショコラショートでよろしいですか?」

聞き返された私は、何事かと思いショーウィンドウを見た。するとショコラにはホールケーキとショートケーキがあった。ああ、そっか。40過ぎの男が買いに来て、まさかショートケーキ一つじゃないだろうなと思いつつも、こちらを気遣い一応確認して来れたのだろう。

「あ、はい。ショートケーキの方で」申し訳なく思ったが、見栄をはってホールケーキを買う程、余裕はなかっった。ケーキをゲットした私は、早速カウンターへ向かった。よし! やっとうまそうなケーキにありつける。そう思った私を待っていたのは、羞恥心という壁だった。カウンターへついてみると、結構な確率で埋まっていた。しかも女性ばかりだ。その中へ1人分け入り、今しがた購入したケーキの箱を取り出して食べることを想像すると、恐怖心が芽生え足がすくんだ。それは、通勤ラッシュの時間帯に間違えて女性専用車両に乗り込んでしまうのと同じくらい怖い。女性の立場ならどうなのだろう? ランチタイムのリーマンオヤジが並ぶ吉野家に1人で乗り込んでいくようなことに近いのだろうか。どうしよう? 引き返すにも他にケーキを食べることができる場所はない。そして、探している時間もないのだ。通りすがりのふりをして、出来るだけ目だたない隅の方で空いていそうな場所を探す。すると、カウンターの一番端、柱のあるとこにスペースを見つけた。そこならあまり目だたないのだ。よし! なんとか場所を確保できた。が、すぐ隣には30代くらいの女性がたこ焼きを食べている。恐る恐るケーキの箱を袋から出した。小さい箱のはずなのに、ことさらに大きく感じてしまう。そそくさとケーキを取り出し、フォークを入れる。

「え? 隣の男の人、1人でケーキ買って食べてる。ウケる!」と、隣の女性の人が思っているはずもないが、私の思考が勝手な想像を作り出す。そんな幻聴を振り払い、一口めの生チョコレートクリームに意識を集中させた。ふわっという感触とともに、口の中に広がるほのかな苦みと、優しい甘さ。うんトレビアーン! 心の中で巻き舌になる。これこれ、これを待っていたのよ。続いて二口目を口へ運ぶ。今度は、スポンジケーキの苦みと、イチゴの酸味が口の中で混ざり合い、大海原のようなクリームの甘さの中へ包み込まれる。おお! ◯◯◯。フランス語で何か言いたかったのだけど、語彙が少なすぎて何も出てこなかった。

ショートケーキを食べる醍醐味は、そのクライマックスにある。尖った先端から食べ始めると、中間地点で一回目の山場を迎える。大体ケーキの真ん中にはクリームの丘とその上にイチゴ、もしくはそれ以外のフルールがのっているからだ。実はここがケーキのクライマックスと勘違いしている人も少なくない。イチゴという分かりやすい、華があるからだ。しかし、真のケーキ好きにとってフルーツは主役を引き立てるためのわき役でしかない。その主役とは生クリームだ。中間の山場を越えるとショートケーキは少し平坦な道のりが続くが、最後のケーキの淵に向けて再びクリームが増えてくる。そして最後のクライマックの淵には上への高さに加え、外側にもクリームが増す。何故なら、それまで平らに重ねられていたクリームは、最後の垂直の壁に沿って塗られていくからなのだ。つまり、ケーキの外側に塗られた分、クリームの量が増す。何を隠そう、このクリームの多い淵こそがショートケーキの聖域、クライマックなのだ。

クライマックに差し掛かる頃には、外の世界のことなどどうでもよくなっていた。そこに在るのは、私とショコラクリームだけだった。少しの間、余韻に浸っていた私は、本日のミッションである学校の説明会へと向かったのであった。

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