「ああ、いっそのこと今年は家でゴロゴロしてようかな……」
モニターに映る楽天トラベルを見ながらそう考えていた。
せっかく休暇をとったのに、まだ旅行先が決まらない。
壁掛けの時計はもう午前9:30をまわろうとしていた。
明日で42回目の誕生日をむかえる。
そして、ここ何年かは誕生日になると
旅行へ出ることが恒例の行事となっている。
今回の誕生日は平日だ。だから、わざわざ会社へ有給の
届けを出して、
今日と明日の2日間を休みにした。
しかし、こういう時に限って急な仕事が舞い込んでくる。
仕事あるあるだ。だから昨夜遅くまで、そして今朝も早くから
仕事を終わらせようと悪戦苦闘している。
ところで、歳をとるって一体どう言うことなんだ。
いや、歳は誕生日が来なくても、毎日毎分毎秒とり続けている。
だから、誕生日が来たからって、その日を境に
急に老けるものでは
ないのはわかっている。
だからといって、人間的な成長みたいなのを持ち出してきて、
ありきたりのことを言ってみても、しっくりこない。
それにしても行き先が決まらない。
それは仕事のせいだけではない。
なんかこう、今日の天気のように、どんよりとした気分に
押され気味になっている。
億劫な気分が低気圧のように
私の中に停滞してしまったらしい。
旅行先を決めることが面倒になってきた。
いこうか、いくまいか……。
本来であれば、
既に家を出ていてもおかしくない時間。
そうこうしてる間に、刻一刻と選択肢は少なくなってゆく。
ああ、家でゴロゴロしたい。
でも美味しい料理を食べて、
自然のなかで露天風呂につかりたい。
やる気のなさと、やる気とのせめぎ合いが始まる。
「今から出ても、ゆっくりできなくない?」
「森の中を歩いたら、さぞかし気持ちいいいことか!」
「車だと、帰りの渋滞がつらくない?」
「この時期、露天風呂なんか最高じゃない?」
世田谷からだと、今から京都のお寺院や、
山形の蔵王温泉まで行くのは結構きつい。
近場で、いいところはないのか?
自然も満喫できて、温泉にも入れるし、
電車でも行きやすい。
そうか! あそこそがあった。箱根へ行こう!
ということで行き先は決まったのであった。
「はぁぁ、苦しい……」玉のような汗ではなく、
まさに玉になった汗が腕から吹きだしている。
頭が若干クラクラしてきた。
「頑張れ、あと1分だ」と
心の中で自分を励ます。温度は85度を超えていた。
よしっ!という声とともに、サウナを出た私は、
湯船を通り過ぎ、
そのまま露天風呂へ向かった。
外へ通じるドアを抜けると、
沢を降りてきた夜風が、
私の中を一気に通り抜けていった。
ウーーーーッ 気持ちいい!
サウナの高温で圧縮された意識が一気に解放され、
知覚のセンサーが3倍くらい敏感になったようだ。
全身に響く沢の音、冷ややかな風の肌触り、
岩にのこされたカゲロウの抜け殻。
意識が全てをクッキリ捉える。
確かカゲロウは、成虫になるまで
10回以上脱皮を繰り返すという。
多いものでは、40回を超えるのだとか。
カゲロウにとっては脱皮が成長の明確な証といえる。
古くなった殻を捨て、変体を繰り返す。幼虫から、
幼虫と成虫の中間の段階を経て、
成虫へとむかう。
それは成長というよりも、次々に己を脱ぎ捨てていく行為にも思える。
軽くなって、飛び立つために。
誕生日がくると「歳をとる」とか「年を重ねる」とかいうけれど、
本当のところは違う言い方をした方がいいのではないだろうか?
いっそのこと「歳」という言い方はやめて「脱」を使ってみてはどうか?
「20脱ぎ目の誕生日おめでとう!」とか、
「私は、今年で42脱ぎ目……」とか言えば
若返った気さえしてくる。
さて、脱皮を誕生日と同じようにカウントするなら、
今の私はもう直ぐ成虫になる頃合いだろうか。
42回目の誕生日を迎えた私は、
脱皮のような証を
見つけられたのだろうか?そういえば、
最近ひたいの前の方から生え際が後退してきた。
ここらで一皮むけるのか?
いやそれは脱皮ではなく抜け毛である。
断捨離的に髪も減っているが、そう言う話ではない。
そういえば、10代の頃は自分を格好良く見せたいと思っていた。
意図したわけではないが、そういう類の虚栄心は今はあまりない。
一方で、もっと収入を増やしたいとか、
仕事で認められたいというものはある。
それがよくないことだと言うつもりはない。
ただ個人的な価値観として、
そういうものすらも、
脱ぎ捨てていきたいと思い始めている。
強いて言えば『雨にも負けず』のような人。
そんな人のことを素敵だなと思う年齢になってきたようだ。
カゲロウのように、
脱ぎ捨てていく人生。
悪くないと思う。