過去のない男

これは、人の人生を濃縮果汁還元ジュースのように飲みやすくした詩的な映画だ。溶接工だった男は、公園で暴漢に襲われ所持金も記憶も失ってしまう。自分の名も過去の記憶も失くしてしまうということは、ある意味人間の死を表現している。なぜなら人のアイデンティティは過去の積み重ねの記憶によって、自分はこのような人間であるという自己を確立しているからだ。そこから男は貧しいが親切な人々に助けられ、新たな人生がスタートしていく。

そして救世軍の女性イルマと出会うのだが、実直そうなわりには意外と積極的な男の部分を垣間見せてくれる主人公。その行為は、記憶喪失前からの資質のような片鱗にも思えてきて面白い。また、あるとき主人公がジュークボックスを拾ってくるのだが、音楽もこの映画を展開させていくポイントとなっている。自由と反骨の象徴のようなロックンロールの名脇役的な役割もいい。

記憶喪失によって一度死んだ人間が、人々の優しさによって再生し、さらに人生に希望を見出していく過程がストーリーの中に凝縮されている。しかし独特の間合いの中にシュールな笑いを込め、決してストーリーを重くさせていない詩的な映画だった。

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