本石亭で煩悩に気づく

神田へきたら、来よう来ようと思っていた本石亭。前回は、少し時間が遅かったせいですでに閉店していたのでカレー欲に取り憑かれた魂をどうしようかと考えたが、運良くすぐ近くにあった南インド料理 Bwans & Beans でなんとかスパイス注入を果たした。

今日は、まだ正午前。自分のまえには1人がドアの外で待っているだけだった。といあえず、カレーにはありつけそうだ。何人かがドアから出てゆき、それほど待たずに本石亭のドアをくぐることができた。小さなスナック? な店内にサラリーマンがぎっしりという印象。

カウンターの中に男が1人。髪の毛をオールバックに撫で付け、白いシャツに黒いベスト姿の強面。50代前半くらいだろうか。この人がマスターだろう。1人で切り盛りしているようだ。カレーの香りがしていなければ、昼間のランチだとは思えないだろう。

カウンターに座った。あぶらで汚れたメニューは、郷愁を漂わせている。古い喫茶店や街のレストランのメニューってこんな感じだったなぁ。

今日は、キーマカレーにしよう。〜ピリピリ本格 カレー道の極み 南インド風〜と説明書きがあった。さて、無言でテキパキと仕事をこなしているマスターに、話しかけていいものかどうか迷う。しきたりがありそうな匂いがするが、一見さんなのでそれがわからない。オーダーを聞くまで待てよ的な雰囲気が漂う。だいたい、1人でやっているカレー屋は、店主が聞くまで待っているというところが多い。声をかけるかかけまいか、それが問題だ。と悶々としているうちにマスターから声をかけてくれた。

「キーマカレー大盛りで」と、やっと出口を見つけたかのように、肺の中から注文が出ていった。

ほどなくして、目の前にキーマカレーの皿がおかれた。既成のキーマカレーという概念を覆す見た目にややおどろく。ライスの上に乗った汁気のないカレーというより、肉汁のたっぷり入ったカレーだ。早速、スプーンを投入し味を確かめた。

お! 肉の旨味が染み出した濃厚な味が口の中にひろがった。少し遅れてピリピリとした辛さがやってきた。うん、いける。ホット(辛い)であるが、カレーとしてのスパイス感はあまりなく、カレーを食べているというよりは、スパイシーなひき肉と野菜の料理を食べている印象。南インド風? なのか。まあ、これはこれで完成されているので、カレーとしてどうこうというより純粋に料理として旨い。とくにライスにめちゃめちゃあう。

ふと気づくと、さっきからカツン! カツン! カツン!とかなり大きな音を立てている奴がいる。スプーンと皿のぶつかる音だ。どうやら、となりのとなりのおっちゃんらしい。いやわかるよ。掻き込みたくなるその気持ち。でも、そんなんしたら皿割れるよ! という勢いでスプーンを回している。

人間ていうのは、食べている時に自分が何をしているのか無自覚になりやすい。食欲と言われるだけあって、食べている最中は食欲という煩悩に溺れている状態だからだ。言い換えると超エゴ(自我)的な状態とも言える。腹が減っていればなおのこと。ゆっくりよく噛んで食べましょうなんて言われたって、目の前に食い物が出てきたら、エゴ(自我)に乗っ取られ、周りが見えなくなってしまうのだ。そして、ついつい早食いして、速攻で食い終わってしまいがちな私である。しかし、私の場合カレーだとそうなりにくい。

なぜかというと、そのスパイスのベールを一枚一枚剥がしていくかのごとく、分析しながら食べるのが趣味だからだ。とくに舌が麻痺していない最初の一口目が重要だ。この一口目に全神経を集中しているといっていい。最初のスプーンをゆっくりを口へ運ぶ。そして、舌の上で繰り広げられる万華鏡のスパイスワールドを、つぶさに分析していくのが極上の幸せなのだ。あたしは、これを体験するためにカレーを食べるのだ。それも煩悩じゃないのかと言われれば、確かに煩悩の世界である。ただし、同じ煩悩でもそこに巻き込まれてしまうのと、それを客観的に確かめていくことの間には大きな差があるのだ。これこそエゴ(自我)からの離脱なのだ。

そう、そして目の前のキーマカレーをゆっくりと確かめていくエゴ的サラリーマンであった。

本石亭の場所

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